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『ゴーギャンの椅子』ゴッホ作
『ゴッホの椅子』ゴッホ作
あまりにも純粋な青年は、南仏アルルに芸術家たちのユートピアをつくろうとした・・・。
ゴッホ35歳の時、知り合いのあらゆる芸術家たちにアルルへの招待状を送った。
それに反応を示したのはゴーギャンだけだった。かといって、ゴーギャンも、ゴッホの手紙に心を打たれたのでも、純粋な芸術への熱意に燃えてアルルを訪れたわけでも、なかった。ゴッホの弟である画商テオに金銭的援助を受けており、彼は資金を得る代わりにやむを得ずゴッホとの共同生活を承諾しただけだった。
そして、アルルでの共同生活はわずか2カ月で終わりを迎えた。ゴッホにとってゴーギャンは最大の親友であると同時に、もっとも苦しみを与えられた人物であった。その結果が、有名な「耳切り事件」である。ゴーギャンとの口論の後、ゴッホは自らの右耳を切り落とし、精神病院へと送られる。ゴーギャンは逃げるように自分のアトリエと帰り、後に西洋文化に嫌気をさしてタヒチへと旅立つ・・・。
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二枚の絵はゴーギャンがアルルを去った後に描かれている。
ゴーギャンへの怒りによって右耳を失ったゴッホは、何を思いこの絵を仕上げたのか。『ゴーギャンの椅子』に乗っている物は二本のロウソクである。ひとつは灯り、ひとつは煙をたてることなく消えている。それと二冊の本。それが何の本であるかは判別できない。芸術家当人にしか知り得ない情報がつまった、極めて内向的な絵画だ。
『ゴッホの椅子』が昼の光景であるのに対して『ゴーギャンの椅子』は夜の光景である。ここにも何か意味があるように思える。「耳切り事件」の詳細がまだ解明されていない現在では、この二つの絵画についてはおそらく、視る者が解釈すべきことなのだろう。
ゴッホのゴーギャンへの想いはどんなものだったか。想いに馳せながら、この絵を眺めていたい。
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