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ジョージア・オキーフ


『夏の日々』(1936) オキーフ作



1970年はジョージア・オキーフにとって、一つの大きな波がうねる年だった。




すでに80歳を超え、画壇でも名声を得ていたオキーフの絵画展覧会が米ホイットニー美術館で開かれた。アメリカ東部では、実に25年ぶりの展覧である。


会場に並ぶ列は長蛇となり、観客動員数の記録を次々と塗り替えて行った。


その多くは孫の年ほどはなれた若者たちで、しかも女性であった。


しかし、最も驚いたのはオキーフ本人であったという。自分が期待していた反響をはるかに超え、人々から絶賛の声を聞かされる。



――というのも、当時のアメリカは女性解放運動がとても活発化していた時代でもあった。


雇用、教育、芸術といったさまざまな面で偏見と差別の目に晒されてきた女性の地位を向上する、女性運動家たちの主張がすこしずつ世の中に取り入れられ始めた時期……。

しかも偏見の目が特に厳しい画壇の中で、燦然と光り輝くオキーフの立場は、解放運動の宣伝シンボルとしては最高のモチーフだった。



≪若きオキーフ(写真家であり夫スティーグリッツによる)≫



まさにそのきっかけが70年の個展であったのだ。

兎にも角にも、オキーフはアメリカ人女性の神へと昇華した。



彼女の顔写真や名前を題材にした作品を発表する女性芸術家が後を絶たなかった。

テレビでは彼女の足跡をたどるドキュメンタリー番組が放送された。

ある女性ダンサーはオキーフにささげる舞踏を演じ、ある管弦楽団は彼女をたたえる曲を演奏した。


「女性の生きる理想」……そう崇められた。



しかしである。



肝心のオキーフはそうした風潮に全くの関心も寄せなかったのだ。女性の生き神になっても相変わらずニューメキシコ州という荒野の地で、動物の骨や花と向き合っていた。


「私の人生はナイフの刃の上を渡るようなものでした」というように、彼女もまた画家になるまで苦難の連続を乗り越えてきた。若かりし1900年代前半は、女性が絵画を勉強するだけで変人扱いされる時代である。


画家になることを時には諦め、しかし立ち上がり、なんとかして成功を収めた。


だが、彼女がそれでも女性解放論に目を向けないのは、おそらくは彼女が「今の集団運動とは違い、自分はもっと厳しい時代に独りきりで乗り越えてきた」という自負と、そして「女性である前に自分は芸術家である」という自らの主張を示したかったからなのだろうと言われている。



それが如実に表れているのが今回のような絵画だ。

「死よりも永遠なもの」と呼んで描き続けた動物の骨は、ニューメキシコの赤い丘陵の大地から浮かび上がり、灰色の雲空に静止する。

対して、何輪かの花は色鮮やかに咲き、うち一つがまだこれから成長することを暗示するように斜めに伸びている。

生と死の象徴と、両者を包み込む大自然。



彼女が表現する人間として、見続けたかったもの。それは男女差別に苛まれる姿や、女性解放運動の世相などではなく、自然の美しさそのものであったのかもしれない。




1970年はジョージア・オキーフにとって、一つの大きな波がうねる年だった。しかし、彼女の心に揺れ動くものはなく、いつになく凪いだ年であった……。



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