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『クリスティーナの世界』1948年 ワイエス作
草原は孤独だ。脚の動かない私を誰も助けてくれない。
這って行くしかない。きっとやれるはず。
何十年かかるかわからないけど、私はきっとあの家に辿り着く。
ぼろぼろになった手でドアを開けて、ようやく大きな安息を得られる。
彼女の名前はクリスティーナ。小児麻痺で生まれつき脚が不自由だった。
誇り高い性格の彼女は、できるだけの事を自分一人の力でやり遂げようとした。
いつも家族の墓地まで地を這いながら時間をかけて行き来した。
当時高価だった車いすの寄付を死ぬまで拒み続けた。
後姿の彼女が見据える一軒家は、生涯暮らした場所だ。
この絵を研究する人は彼女のセカンドネームを取ってオルソンハウスと呼ぶ。
画家アンドリュー・ワイエスは別荘の隣人であるクリスティーナと姉を献身的に支える弟に会いにオルソンハウスをたびたび訪れた。
貧しい暮らしの中でハンディキャップと折り合いをつけながら生きる二人の逞しさに、ワイエスは崇拝ほどの気持ちを抱き、以後30年間彼女たちを描き続けた。
アメリカとは孤独な国である。時代が進むほどに人同士の繋がりが希薄になっていく事を国民誰もが肌に感じていた。
ホッパーは都市の孤独を描き、ワイエスは田舎の孤独を描いた。
ホーマーが漁村の人々が営む生命の局地的な孤独を描けば、ロックウェルは文化・人種の相違からくる孤独を描いてきた。
だが現状を嘆くだけで終わらず、彼らはその中で確かな生命力を見出してきた。
広大で過酷な大地を一から開拓して発展してきたアメリカ人のアイデンティティとして、それぞれの生活から強かさを浮き上がらせるのが彼ら写実主義者たちの使命だったのだ。
絵の中のクリスティーナは若い。だが、描かれた時の彼女の実年齢は55歳だ。
自らの努力で安息を手に入れたクリスティーナの旅路のスタート地点は、きっとこんな風景だったに違いない。
その背中は、途方にくれているようだ。あまりに遠く、あまりに残酷。
ただしワイエスは出会ってからの30年間で彼女がゴールに辿り着けることを知った。
一人の女性がついに家のドアを開けた瞬間をこの目で見ている画家だからこそ、それまでの険しい道程と若かりし彼女の後姿が描けたのだ。
彼女への壮大な生命賛美を、この絵に託した。
目の前に壁が立ちはだかっている人にこそ、この絵の持つフロンティア精神は語りかけてくるのである。
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